■ファン・ティエ・コ氏の挨拶(通訳はユン・クァン・チー氏(京都精華大学OB)でした。)


 私はファン・ボイ・チャウの孫として、みなさんのご協力で日本に来ることができました。非常にうれしくお礼を申し上げます。私の人生にとっても、今回の式典は非常に意味のある、そして重要な出来事となりました。 1940年に祖父と一緒に暮らすことができ、日本での活動や生活について聞くことがありました。“日本は良い国で、日本人は賢くてそして女性がきれいな国”だと教えられたことを覚えています。
 ファン・ボイ・チャウの時代、ベトナムはフランスに支配された時代でした。祖父は国を救う道を探しに日本にきましたが、大変な苦労がありそのことを考えるのはつらいことです。その歴史として残る浅羽先生の「義侠」や日本人の「義」に深く感謝をする次第です。 祖父ファン・ボイ・チャウは自伝のなかで、浅羽先生の恩は空の高さと同じくらい、そして自分の母親のような恩だと書いています。その時代、フランス支配の中で日本に来るだけでも大変なことでしたが、日本での苦労はあまり良くは知られていません。もし、祖父が今日ここに来られたとしたら、皆様の村や日本の国の人にお礼を申し上げたであろうと思います。
 日本の滞在はまだ僅かで、多くの日本を見てはいませんが非常に素晴らしい国だと思いました。祖父の歴史のある日本に行けることは、永く私の願いでしたが、浅羽先生の眠られているこの地に来れたことは夢のようなことです。  
 今後この記念碑に係わる一員として、浅羽の皆様に認めて頂けたらうれしいことです。記念碑には、「浅羽先生の恩は億万年決して忘れない」と書かれています。私は3番目の世代ですが、ずっと忘れないようにしたいと思います。
 浅羽先生の写真を持ち帰り、毎日仏壇でお祈りできるようにしたい。」と日本に来る前に祖父の祭壇で誓ってきたことです。今日の記念に、「ファン・ボイ・チャウ全集」10巻を寄贈致します。私達は明日、日本を離れますが浅羽先生のご家族の皆様、浅羽町の皆様のご多幸をお祈り致します。アリガトウゴザイマシタ。